2012/01/28

台湾のホテル(旅名人ブックス)

旅名人ブックスのシリーズは写真が多くて、読んでいるだけで旅をしているような気分になれる。反面、カラー写真ばかりなので、持ち歩くにはとても重い。さすがに現地に行って、参考書として持ち歩くのは嫌な本である。でも、内容が結構濃いので、知らないところの場所の様子を知るためには有益なものだし、実際に当地に着いたときに、似たような写真を撮ってみたいという参考にもなると思う。

そんな旅名人ブックスでは、あるとき、台湾特集が組まれた。それも6-7冊。連続で台湾に関する本ばかりを出していたのであるが、これは絶対、旅名人ブックス編集者のなかに「台湾を特集させてくれ!」と直談判した台湾フリークがいたんじゃないのかというのは容易に想像できる。

台湾に行くときに大抵はもう台北にしか宿泊していないし、台湾高速鉄道ができてからは、台北に宿泊していれば、高雄も日帰りでいけるようになってしまったので、他の都市にどんなホテルがあるのかということを調べることも無いだろうと思う。それでも、台湾のホテルは、高級から低級まで幅広く存在し、できるだけ安い宿に泊まろうと思えば泊まれるところはあるのだが、そこまで貧乏面をして台湾に行く必要がどこにあるのだろうか?なにをしに台湾に行くのかということにもよるのだが、せっかく台湾にいくのであれば、日本にいたら絶対に泊まれないような超高級ホテルも格安で泊まれるので、是非台湾では良いホテルに泊まって欲しいところである。

台湾のホテルばかりを紹介しているのが旅名人ブックスにある。その名も「台湾のホテル」の巻だ。多くは台北のホテルばかりなのだが、主要都市の主要ホテルに付いては結構多く載っているので、ガイドブックで数行しか載っていないよりは、この本のほうが参考になるだろう。いまでは、ネット上にはたくさん電子データとしてあらゆるホテルの情報が写真つきで載っているので、こういう本がどこまでニーズがあるのかというのがよくわからない。ネットにつなげさえすれば、TripAdvisorのようなサイトにアクセスすれば似たような情報は載っている。ホテルのことなので、歴史に付いてはそんなに情報が必要ではない。ただ、ホテル内の施設はどうなのか、ホテルのサービスはどうなのかということだけに終始すればいいわけで、こんなのが旅名人ブックスになるほうがあまりよくわからない。

しかし、最近毎回台北で泊まるときには、同じようなところに泊まってしまっているので、なにかちょっと趣向を換えて、毎回泊まる所を換えてみようかなというのを、この本を見てしまうと考えてしまう。どれもこれもなかなか良いホテルばかりだからである。やっぱりホテルは場所とサービスと品質に因るというのが選択の大きく関わるものだと感じる。安宿ばかりが良い選択とは限らない。いかに安く良いホテルに宿泊するのかというのも重要なファクターである。なにしろ、1日の1/3はホテル生活をしているわけなのだから、そのホテル生活を無駄にする必要は無いのである。

主要のホテルが全部載っているので、台北だけじゃなく、日月潭や陽明山のような場所、ましてや阿里山のようななかなか行きにくいところのホテルもちゃんと掲載されている。こういう書籍を読むとまだまだ泊まってみたい場所というのはたくさんあるなと実感する。そして、紹介されている内容は、記者の眼からみた感覚なので、実際に泊まって見て、自分だったらこう感じたというのを後でレポートしたいところである。

ただ、台北も他の都市もそうなのだが、毎年毎年新しいホテルが開業している。そして、それは世界的なチェーン店だったりするし、ローカルのデザイナーズホテルだったりする。こういう新しいホテルについての情報をタイムリとは言わないまでも、定期的にアップロードしていけるのかどうかというのが、こういう書籍の難しいところだろう。ガイドには載っていないが、新しいホテルが出来たので、そこに泊まってみたいというのであれば、やっぱりネットのホテル案内サイトを見るしか無いだろう。ホテルの選択のために、どういう媒体を使って情報を仕入れるかは個々によるものだとおもう。ただ、行ったことも無いような場所での情報を仕入れるというのは大変しんどいことだ。その都市の初心者であるなら、書物のようなもので調べるのは良いだろう。

しかし、やっぱりこういう本を見ていると、ヘラヘラしながら行った気になって、泊まった気になれるから、書物の力は恐ろしいと思う。

旅名人ブックス102 台湾のホテル
単行本(ソフトカバー): 352ページ
出版社: 日経BP企画 (2008/3/20)
発売日: 2008/3/20

アイヌ語ラジオ講座(Podcast)

日本は単一民族国家だというように教えられているが、実はそうじゃない。大和民族を中心とした複合民族国家なのである。典型的なのは、琉球人とアイヌ人を日本人に組み込んでいることだ。日本は長いこと、単一民族国家だというように教えられてきたことにより、他民族であるという主張はすごく嫌われる。台湾のように先住民族は「原住民」として敬っているような土壌が無い。自分たちと違う人間に対して排除するということを当然のようにしてきたムラ社会の延長がいまだに続いているのである。単一民族国家であると主張していても、ガンとして日本人にならず、永住外国人籍として日本に居座っている韓国・朝鮮籍の人たちは、我が強いやつらなので、日本人からなんと言われようとも、国籍を日本にすることも無いし、ましてや、自称「戦勝国」と主張して、本名ではなくニックネームを社会的に適用できるような土壌を作ってしまった糞民族である。が、アイヌ人や琉球人は、心の中にはそれぞれの民族性を保持しつつも、大和民族ではなく独自の民族であるということを主張することは、多くの差別やいじめにあうからと、決して自民族の主張をしたがらないという傾向がある。とはいっても、徐々に日本の中でも、琉球の人やアイヌの人はちょっと違う日本人なんだなという認識は増えてきたことは事実だ。

独自の民族性を押し殺したまま生活するということは、これまで先祖が培ってきた文化が徐々に消滅してしまうということを意味する。大和民族のほうが先端的な技術を持っていたりするときもあったのだが、それぞれが貿易や交流があって交わってきたわけだし、どちらが優位かというのは時代によって違うのだ。そして、沖縄の場合には、一時期アメリカに占領されていたということもあるのだが、独自のアイデンティティというのを持つきっかけが出来たと思う。ところが、アイヌの場合は北海道がロシアに占領されたというようなことはなく、徐々に日本人化してきたことにより、独自の文化を再認識するような時間がなかった。そこで琉球とアイヌは大きく異なり、いまでは琉球語で話をしているひとを見ても、それは「またわけのわかんない言葉だなー。やっぱり字幕がいるね」というように半分冗談でもいえる様な言葉として残っている。ところが、アイヌはどうか。まずほとんど日本のテレビやラジオではお目にかかったことが無い。もちろん、北海道の一部に行けば文化保存館等で見ることが出来るが、ほとんど生きているひとが発している言葉というのを接することは無い。

言語というのは文化のうちの一番重要な部分の1つである。その言語が衰退してしまうということは文化が1つなくなってしまうということと同義だ。琉球の場合は、標準語がテレビによって普及したとはいえ、まだまだ一方言として琉球語が残っている。もっと細かく言えば、琉球語は本島と石垣のほうでは言葉が違うはずなのだが、結構いまではそこまで分かれて居ないような気がするが、琉球方言が話せるわけじゃないので、ここでは言及できない。しかし、アイヌ語のほうはどうだろうか?全くと言って良いほど、公の場に出てくることはほとんどないので、アイヌ語って一体どういう言葉なんだろう?というのが全く一般大和民族ではわからない。

大切なアイヌ語を守っていこうという主旨で始められたのが北海道の放送局(STV)が始めた「アイヌ語ラジオ講座」である。STVがどこまでアイヌ語に対して思いを強く持っているのかは不明だが、数少ないアイヌ語を聞ける番組ではあることは変わらない。書物ではなく、生きている言葉として音声で聴けるというのはとても有り難い。国語学者の金田一京助がアイヌ語のへん編集したアイヌ語辞典は有名だが、それだけ見ていても、アイヌ語ってどういう言語かというのは全くわからん。しかし、このような音声放送があるということは、当時も今も変わらず、言語として言葉が生きていることがわかるし、アイヌ語のリズミカルな言葉を書物では解らない。

この番組は、毎週1回更新されるもので、内容は事前に3ヶ月分配布されている内容を音声で教えるというものである。アイヌ語の先生と、それを学ぶ生徒2人という形でやっているため、発音の勉強にもなるし、アイヌ語の肉声を知ることではおもしろい試みだと思う。なにしろ、PDFファイルでテキストは無料で取得できるので、それを見ながら毎週配信される音声を聞くというのは、NHKのラジオ語学講座と同じようなものである。もちろん、単語も例文もいろいろ豊富であるために、わかりやすいし、頭に入りやすい。

アイヌ語の文章を聞いていると、確かに何を言っているのか全然解らない。全く日本語にない単語ばかりだからだ。ただし、アイヌ固有に言葉が無い場合には、いまの日本語から言葉を拝借するようで、例えばコーヒーやカレーのような言葉は、日本語のままアイヌ語でも使われるということがわかった。マレー・インドネシア語にも似たような傾向があり、やっぱり言葉としてはいろいろ新しいものが出てきても、もともとになければ表現しようが無いので、外来語として受け入れられるんだろうなというのが解った。それと、文法構造が日本語ととてもよく似ているので、単語さえ覚えれば、結構実はアイヌ語というのは使えるんじゃないのだろうか?というのが解った。これは韓国語を学ぶのと同じだと思う。ただし、韓国語と違って困ったのは、このアイヌ語として使える範囲がとてもとてもとても狭くて小さいというところだろう。北海道に行けば、誰にでもアイヌ語で話せば通じるというものではない。アイヌの人でもアイヌ語が話せないひとなんて、ほとんどだ。ということは、アイヌ語をせっかく知ったとしてもそれを使える環境が無いというのはとても悲しいことだと思う。

アイヌ語に新しい流れが入り、例えば、知っている人たちだけしか知りえない暗号の言葉として使われるなどのような動きがあれば、アイヌ語を勉強しようとするひとは結構増えると思う。ただし、アイヌ語は台湾の言葉と同じように文字を持たない言葉だ。だから、文章として残すことは難しい。したがって、話し言葉の暗号としては有益だとは思える。アイヌ語も、詳細にいえば、知床あたりの言葉と内陸部の言葉とでは全然違っていたりするのだが、そこまでの違いは今となってはもう気にしないだろう。廃れてしまった言葉を再建するのは難しい。いま残っている言葉を後世にも残していこうというのは大変いい試みだとは思う。

文章として書物として残すのではなく、音声のアーカイブとしてどんどん残していただきたいと思う。しかし、1つ不満なのがある。それはアイヌ語ラジオ講座のサイトにいくときに、無料ではあるがユーザ登録をしなければいけない。なぜそんなことをするのか?誰でも自由にテキストと音声ファイルをゲットできる環境を用意するのが、本当にアイヌ語を残して生きたいという心意気に繋がるものだと思う。

アイヌ語ラジオ講座(STV)
http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo/index.html

明日もゲイ(Podcast)

ポッドキャストでネット配信するという目的は、配信者によってそれぞれ違うんだと思うのだが、ポッドキャストでどういうものが最近配信されているんだろうとおもって探していたときに、ゲイがやっているポッドキャストを発見した。ポッドキャストの中で配信している内容は、やっぱり1度は聴いてみないと、どういう内容なのかはわからないので、早速iTunes経由でダウンロードしてみた。

大阪だろう地方の2人のゲイが、喫茶店なのかゲイバーなのかわかんないような騒々しいところで、どうでもいいような会話をしているという内容。その内容に関しては本当にいろいろ言いたいことばっかりあって、ここまでどうでもいいようなくだらないポッドキャストは久しぶりに聴いたと思った。わざわざポッドキャストじゃなくて、個人的に売名行為か単に露出狂として個人でやっているUstreamにしちゃえばいいというようなくらい、本当に聞くに値しないものである。

ポッドキャストの番組というのは、配信する人が最初の数回は手探りでどのような形にしていくかというのを模索していくのはわかる。しかし、このひとたちがやっている番組は10回も過ぎても全然これといった形が定着せず、いったい何のために配信しているのか、ちっともいつまで経ってもわからないというようなものだった。

まず、先述したとおり、録音状態が非常に悪い。周りの雑音が大きすぎだということもあるし、会話の内容がゲイ的な要素があるから、あまり周りに聞かれたくないということもあるみたいで、少し小声で喋っているから、なおさら雑音のほうが大きく聞こえるという悪循環。喫茶店やバーで録音しているから、店内のBGMの音楽が大きすぎて、本当に何を言っているのかわからないというもの。それも会話のテンポが悪いから、おっさん2人がぐだぐだ言っているようにしか聞こえない。

次に内容。これが洒落にもならないくらい「内容が無いようー」と言うくらい何も無い。ゲイの会話というのは、互いに言いたいことだけ言って、他人の話を聞かないというのが特徴で、女の子同士の会話にとてもよく似ている。それも会話がテンポよく続いているようなものであれば、それはそれで聞いていて楽しいのだが、会話のキャッチボールがまずなっていないことと、内容がゲイの生活やらゲイの性的趣向とか、タイプの話とか、聞いていても楽しそうなのであればいいのだが、これが全く無い。そして、妙に大嫌いなピー音ばかりが入っている。そこまでピー音ばかりを被せてくるんだったら、最初から録音するなよーと言いたくなる。どうせ聴いている人の数なんか少ないんだから、もっとぶっちゃけ話をしたらいいのに、全然そういうのを出さないことと、もっと自分たちのことを出せばいいのに、聴かれているひとに身内がいたらまずいと思っているのか、まったく素性が現れないということ、そしてもっとゲイゲイしていても良いのに、中途半端ゲイみたいな話をしているのが気に食わない。

更に言うと、この人たち、ポッドキャストで音声だけ配信しているのかと思っていたら、なんとYoutubeでも同じ音源をアップロードしていた。そのときには、音声だけではなく、映像が付いているのだが、自分たちを撮影しているのではなく、録音している部屋(喫茶店やらバーやら)だけを映していて、なんでこんな意味不明な映像を観させられなくてはいけないのだというくらいイライラする。どうせなら、自分たちのオナニーやらセックスしている状態を録画して、それをアップロードすればいいじゃないか!とおもった。

もっと言いたいことがある。1回の番組の配信の長さというのがだいたい10分くらいなのであるが、10分で話が完結するようなことは全く無い。会話の途中から配信が始まり、つまらない話の途中でいきなりフェイドアウトするという、これまた聞いている人たちがイライラする方式を取っている。なんでそんな編集をするんだろう?というより、先述したことにも関係するのだが、収録時間が決まっているのであれば、事前に何を話してどういう流れでやるかというのを検討したうえで収録するべきなのに、なんにも考えないで、とりあえず録音してしまって、後から考えればいいやというようなことで始めたというのがモロばれしているようなものだ。

たぶんこの人たち、見栄でもなく、単に「おれたち、ネットを駆使しておもしろいことをやっているんだぜー」というのを詰まんないコミュニティで自慢したいがためにやっているだけのつまらない人たちなんだと思う。数回聞いた後に、ゲストが出てきたりしていたのだが、そのゲストも聞くに堪えないような人であり、よくこんなバカ番組に出演してみたいと思ったなと、有る意味感心してしまった。たぶん、「出てみない?」と気軽に誘われて、それで承諾しちゃったんだろう。喋りたい内容があって、アピールしたい内容があるんだったら、どんどんこういうアピールチャネルを使って、「ボクはここにいるよ」とネットの世界にアピールすればいいんだとおもう。

いつまで経ってもこの人たちの番組は盛り上がりがないだろう。そして、いつまで経ってもなにを形にすればいいのかわからないまま、最終的に配信中止になるんだろう。太い幹がなく、枝ばかり派生しても、形はできないのである。典型的な愚プロジェクトを見ているようだった。

明日もゲイ
音声版:http://gaysowhat.podbean.com/
動画版:http://gaysowhat.blogspot.com/

ここからは追記(2012/03/28)

「明日もゲイ第13回」では最後のほうで、サイトの特定はしていなかったが、「ポッドキャストをやる意味ないんじゃないの?という意見がネット上に書き込まれているのを見つけた」という話をしていた。たぶん、ほかにだれもこのポッドキャストの番組批評について書いていないので、きっと上記で記載した内容をメインキャストの方たちがご覧になったことだろう。「そのうち配信中止になるんちゃうの?と書かれていたけど、絶対俺やめへんからな」と言うコメントを聞き、「その心意気は大切ですよ」と親ごころの心境になった。

八天堂のクリームパン

八天堂のクリームパンは、いまではあらゆるメディアに紹介されていたのだが、売られているのが品川駅だけと思っていたので、通勤経路でもないから眼にすることはないだろうと思っていた。ところが、なんと勤務先の最寄の駅に期間限定ながらも出店されていたことを知り、モノは試しにと早速買ってみた。

もともと広島の製パンメーカーだったこの会社が、クリームパン1種類にターゲットを絞って事業展開していったというのには、社長の決断力の高さというのに感心する。どこかのバカ会社みたいに、誰も責任を取りたくないとおもっているお偉いさんの集まりみたいなところとは大違いだ。

さすがメディアの力は大きいのか、最寄の駅は決してターミナル駅でもないし、一地方の駅と考えてみるといいのだが、こんなところに出店しても客足は途絶えないし、いつも長蛇の列が出来ている。しかし、そこまで並んでまでも買いたいものなのか?というのはちょっと疑問に思った。

すべての東京にある店がそうなのかどうかはわからないのだが、最寄り駅に売られていた八天堂のクリームパンは、毎日広島から空輸されるからというのが理由で、昼以降からしか開店しない。だから、朝の出勤時にはシャッターが下りている状態だったのだが、昼に出かけるときに駅を利用すると、開店しているのを発見することができる。

購入しようとしたときも、やっぱり近所のおばちゃん連中が列に並んでいたのだが、並んでいて驚いたことがある。前に並んでいたひとたちのほとんどが、1、2個の単位で買っていくのではなく、10個単位で買って行っていた。そんなに買っても賞味期限の時間が短いんだから、食べきれるのかなーと思ったのだが、おばちゃんといっても一般主婦で買いにくるんじゃなくて、近くの事務所の事務員が来ていたり、保育園や幼稚園の先生が買いに来ているということなんだろうと想像する。

こちらは1人なので、とりあえず2個だけ買ってみた。それも違う種類のものを1つずつ。
八天堂の商品は基本的にはクリームパン。カスタード、抹茶、小倉、チョコ、生クリームの5種類がメインとして売られている。(商品リストはこちらを参照)売られている場所によっては、これらクリームパンだけではなく、ロールケーキやレモンパンも売られていたりする。最寄り駅では、ロールパンも売られていたのだが、これもあんまり賞味期限が長いわけじゃないので、いっきに全部食べるには無理。会社に買って帰って、みんなで食べるっていうのはいいかもしれないが、取り分けるナイフなんか持ち歩いているわけじゃないので、困る。調理器具でも持ってこようかとたまに思っちゃうことがある。

買ったのは定番かもしれないが、カスタードと生クリーム。どちらも美味いとおもうのだが、どちらも中に入っているクリームの量がめちゃくちゃ多い。普通のクリームパンというのは、分厚いパン生地のなかにクリームがちょこっと入っているものだと思うが、これはクリームがメインでパン生地になっているところは、クリームが崩れないための単なる境のためにあるとしか思えないくらい薄生地になっている。だから、クリームたっぷりの為に食べにくいのである。決してクリームパンを食べているというのではなく、クリームを食べているのだということで考えるとよくわかる。パンではなく、クリームを食べることがメインみたいなパンだから、結果的に賞味期限が短くなるということだ。

一度食べればもういいかなーというくらいものであり、リピートして食べたいというくらいものではない。どちらかというと、他の種類のクリームパンはどんな味がするのかな?というのを想像したくなるものだ。特に売られている場所が限定しているレモンクリームパンというのは、絶対どこかで食べてみたい。品川には売られているようだ。

なお、八天堂の出店は、いまでは東京およびその近郊でも結構常設および臨時で出ているようなので、最新の情報は、八天堂の販売代理店の「八天堂リテイリング」のサイトから確認していただきたい。

八天堂
URL : http://www.hattendo.jp/

八天堂リテイリング
URL : http://www.hattendo.biz/tenpo.html